2011年04月23日

◎王貞治さんの野球人生、巨人、ダイエー、ソフトバンクから

王 貞治(おう さだはる)さんはソフトバンク球団会長となりましたが、現在もチームの試合を観戦したり、帯同したりすることもあるようですが、そのほかの行事やイベントも数多く入っていて大変みたいですね。

役職は福岡ソフトバンクホークス球団取締役会長、読売巨人軍OB会会長、日本プロ野球名球会会長、東京都名誉都民、東京都墨田区名誉区民、目黒区名誉区民、福岡市名誉市民、宮崎市名誉市民、日本プロ野球組織(NPB)コミッショナー特別顧問とかなり多いものとなっています。

生まれたところ、育ったところ、プロになって住居を構えたところ、プロ野球監督を過ごしたところなどがあるでしょうかね。

早稲田実業学校から読売ジャイアンツ、読売ジャイアンツの監督、ダイエーホークスの監督、ソフトバンクホークスの監督、福岡ソフトバンクホークス取締役最高顧問、福岡ソフトバンクホークス取締役会長となりました。

王貞治さんは引退後は巨人の監督となっていますが、辞任後は巨人とはやや疎遠になった風でもあるでしょうか。

監督時代には長島監督時代の選手が主力選手となり、衝突することも多かったのだとか。

納会前に前監督である長嶋さんの別荘に集まって遅刻したとか、中畑清さんの王監督批判発言が録音テープに記録され週刊誌にも出て騒ぎになったということもあったそうです。

王 貞治さんにとって巨人監督時代はあまり良い成績も残せず、チームの内紛、ファンの評価などでやや苦労した思いが強いでしょうか。

その後ダイエーホークスの監督として要請があるものの、巨人一筋だっただけになかなか首を縦には振らなかったのだそう。

やはり球界の盟主と言われる巨人ですし、当時は人気のセリーグだったので都落ちという気持ちもあったのか。

その後は巨人時代同様勝って当たり前の態度で接したためにホークスの選手とは溝ができ、勝てず、ファンから批判されることもありました。

しかしその後はドラフトでよい補強をしたりとで戦力も整い始め、1999年、2000年、2003年にはリーグ優勝、そのうち2回は日本一となっています。

巨人時代とは違いホークスでは王監督を尊敬し慕う選手が増えている様子でした。

ホームラン記録は作ったものの、その後の監督時代には一転やや苦い思いをし、転落の下り坂人生にもなったとも言えますがその後は着実に経験を積み、WBCの日本代表監督にまでなりましたからね。

ダイエー時代には身売り騒動などもありましたが、ソフトバンクになってからは孫社長は敬意を持っているようで、王貞治さんも野球環境を整えてもらい感謝しているのだとか。

posted by ぴりりんこり at 14:00| Comment(0) | TrackBack(0) | スポーツ
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